「2月の読書会を終えて」・・「死とは何か」・・そのⅢ・・天国と地獄・・

死んだらどうなるのか、天国に行けるのだろうか、それとも地獄に堕ちるのだろうか、死に対する想いを巡らし恐怖に震える、そんな時代は終わろうとしています。

シルバーバーチは「教義は必ず魂の足かせになるということを忘れないでください。教義を重んじることで立派になれるのではありません。教義を無視しても立派になれるのです。・・・魂を縛るもの、魂を閉じ込めるもの、魂の自由な顕現を妨げるものは排除しなくてはなりません。(p136~137)」「大霊の摂理は常に完璧です。人間は自分で種を蒔き、その結果を収穫します。摂理に反した種を蒔けば、自ら罰をつくり出すことになるのです。(p192~193)」と、語っています。

宗教に縋(すが)る、教義に忠誠を誓い敬虔な信者となる、教義を忠実に実践する、そうすれば天国へ行けるのだという妄想は、現代社会では、過去のものとなりつつあります。宗教の教義を忠実に実践してもその教義が霊的摂理に反したものであるならば、罪を作り出していることになります。宗教の名のもとに行われている物質欲に塗(まみ)れた行為、利己的な行為、残忍な行為、それらを行った者は全て、宗教的な地位や肩書きに係わらず、必ず償いの道を歩まなければなりません。

霊界は一つですが、無数の界層に分かれています。高き崇高なる界層から地獄のような幽界の最下層までもが存在しています。しかし、宗教で語られてきたようなものではなく、自分自身が作り出す思念の現れの世界なのです。イエスやアッラーに最後の審判を仰いで、天国や地獄に振り分けられるのではありません。自分で自分を裁くのです。自分の行為は自分で責任を取らなければならないのです。それが、神の定められた摂理なのです。

潜在意識には地上人生の全ての行為が事細かに刻み込まれています。どのような行為も隠すことはできません。自分の行為、自分の蒔いた種は、自分自身で刈り取らなければなりません。神の摂理に叶った行為、霊的真理に沿った行為だけが、自らの魂を成長させることになります。地上人生で培った霊性の成長度、霊的成熟度によって、死後、どの界層に赴くことになるかが、決定されることになります。そこが光に満ちた界層なのか、それとも暗黒の界層なのか、どちらにしても、それは自らの行為が導いたことによる決定なのです。地上人生において、死とは何かということについての霊的真理を知っておくこと、そして、霊的真理を実践することの重要さを改めて実感しています。
(シルバーバーチの言葉は「シルバーバーチは語る・上」から引用しています)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
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