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「神の子供として生きる」

新しい年、2019年がスタートしました。
地上では、いまだ軍事衝突や自国第一主義など物質的、利己主義的な出来事が多く見受けられます。しかし、水面下では、イエスを中心とした高級霊団によって地上のさまざまな悲劇を解消するために、地上生活のあらゆる方面において働きかけが行われています。スピリチュアリズムに出会い地上の道具となった私たちは、大きな視点で物事を捉え、地上の一兵士として最大限の努力を続けていかなければなりません。大いなる神と神の摂理の中で生きていることを忘れないように、今年も実り多い一年にしたいと思います。

以下は、2018年12月、スピリチュアリズム福岡サークルでの私のスピーチです。

・・「神の子供として生きる」・・
神についての霊的事実を学び、神についての理解が深まっていくにつれて、自分自身のことについての理解も深まり、心の中に、以前感じたことのない変化が生まれています。

この地上は、さまざまな体験を通して、自分自身を霊的に成長させるところですが、日常の不意に起こる出来事、突発的に起こる出来事にも偶然はありません。すべて神の摂理の範囲内で起こったことなのです。しかし、その時には、冷静に物事を見つめることはできません。物質的視野でそのことを見てしまえば、その出来事が、とても大きなもの・困難極まりないものに思えてしまいます。次から次へと解決しなければならない問題が起こってきますが、それらは、自分自身にとって必要であるために、次々に起こってくる出来事なのです。神の摂理は、複雑に絡み合っていますから、私たちの目では、すべてを推し量ることはできないのです。

シルバーバーチは「あなた方は、人間性を強化するために地上界へ来ています。それがなされるかどうかは、遭遇する難問にどう対処するかによって決まります。内在する霊力によって克服できないような問題は、地上には生じません。なぜなら、いかなる難問もしょせんは地上的・物質的なものにすぎないからです。あなた方は大霊の一部であり、神性を宿していることを忘れてはなりません。(教え・上・99)」と語っています。

私たちの本質は、霊ですから、物質界においても、常にそのことを意識し、意識レベルを瞬時に引き上げる修練を続けていかなければなりません。そして、霊的視野で物事を捉え正しく消化し、判断し、解決していかなければなりません。

この地上生活においてどのくらい神のことを理解し、神に近づくことができるのでしょうか。私たちは、不完全な存在ですから、無限なる神を完全に理解することはできません。しかし、神のことをより深く理解し、神に近づこうと努力することはできます。
この読書会においても、神についての多くの霊的真理を学び、祈りも実践しました。そして、少しずつですが、神への絶対的な信頼のうえに確立した信仰心を身に付けることが出来つつあると思います。

時には、神の子供として、本当に神に近づいているのだろうか。神と同じ愛を家族にも隣人にも、そして世界中の人々にも与えることができているだろうか、と反省することもありますが、そんな時、「我々が忠誠を捧げるのは一つの教義ではなく、一冊の書物でもなく、一個の教会でもなく、生命の大霊とその永遠不変の摂理です。(教え・上・19)」と語るシルバーバーチの言葉にいつも救われています。
そして、その言葉の奥深い意味についての理解も深まりつつあることをとても嬉しく思っています。スピリチュアリズムに出会い霊的真理を学んでいる私たちは、霊的知識を土台とした完璧な信仰を持たなければなりません。そして、神の絶対的摂理に調和して生きる術(すべ)を、身に付けなければなりません。それによって、すべては、うまくいくのだという確信と信念を持たなければなりません。

スピリチュアリズムに出会い、死とは何か、神とはどのような存在なのか、など多くの霊的事実に触れ、感動を覚え、生きる上での羅針盤を手に入れることが出来ました。その感動を忘れず、これからは、まだ、出会っていない多くの霊的兄弟姉妹たちに、霊的真理を手渡していきたいと思っています。その行為を実践していく前途に待ち受けているのは、茨(いばら)の道だと思いますが、「人のために」という心からの叫びがあれば、いつどのような場面においても、必ず霊界からの援助があると信じています。

神の子供として生きることは、神の愛を実践することに他なりません。神の愛を実践することは、とても困難をともなうものですが、高級霊に習って、自分自身には何も求めず、ただひたすら利他愛にもえ、他人の霊的成長を願う真の奉仕の精神を身に付けていきたいと思います。

そして、スピリチュアリズム普及のために、神と神の摂理にたいする完璧な信念、絶対的信念を持ち、地上のさまざまな困難に挫けることなく、邁進していきたいと思っています。神は完全なる存在ですから神の計画も完璧です。神が計画された明るい未来は、必ず訪れます。利他愛でいっぱいに満たされた地上世界の実現に向けて、志を同じくする多くの同士たちと共に、霊的人生を歩んでいきたいと思います。(E・H)


「11月の読書会を終えて」・・「摂理の神」そのⅢ・・永遠の霊的成長の法則・・

この地上にあっても、死後、霊界に戻っても、私たちは霊的成長を続けていかなければなりません。それは、神から与えられた分霊を宿しているからです。永遠に生き続ける私たちですが、霊的成長も永遠に続いていきます。そして、その霊的成長はさまざまな神の摂理の支配のもとでなされていきます。それは、霊的な親である神が与えた永遠のテーマ、宿命的な試練そのものなのです。

霊優位(霊主肉従)のもとで利他愛を実践すれば、霊的成長が促されます。しかし、肉体を持っている私たちには、それらを実践することは、とても難しいことです。
「人間には、大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残も留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。(シルバーバーチの教え・下・58)」と、シルバーバーチは語っています。

霊的成長のためにまず必要なことは、内なる神性を表面に押し出すことなのです。そして、霊優位の状態において、さらに必要なことは、利他愛を実践するということです。霊優位の状態でないと真の利他愛の実践はできません。そして、その行為が霊的成長を促すことになるのです。

神は、人間にだけ自由意志をお与えになりました。自由意志をどのように使うかは、とても大切なことです。「自由意志は大霊から授かった権利です。が、その使用を誤ると代償を払わなければなりません。摂理にのっとった生き方をすれば豊かな恩恵を手にすることになります。もし摂理に反した生き方をするなら、それ相当の結果を刈り取らなければなりません。(シルバーバーチの教え・上・106)」と、シルバーバーチは語っています。

神の摂理に一致した行為は、正しい原因(プラスのカルマ)となり、良い結果を生み出し、霊的成長を促します。内奥に存在する霊は、そのことを認識していますが、私たちは、間違った方向へと自由意志を働かせてしまい摂理に反した行為をしてしまっていることもあるのです。その行為は、悪い原因(マイナスのカルマ)となり、悪い結果を生み出し、霊的成長を阻害してしまうことになるのです。

私たちは、神の摂理に調和した生き方を実践し、永遠の霊的成長ということを心に留め、正しい視野で人生行路を歩んでいかなければなりません。永遠に続く霊的成長の道ですが、霊的成長への第一歩を踏み出すことができる地上人生でありたいと思っています。(E・H)

* なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。



「10月の読書会を終えて」・・「摂理の神」・・そのⅡ

神を正しく理解するうえで最も大切なことは、摂理の神についての正しい理解です。今まで地上には、摂理の神ということについての正しい教えがありませんでした。そのために、正しい信仰や正しい祈りを行うことができなかったのです。摂理の神は、シルバーバーチによって、はじめて明らかにされた画期的な神観なのです。

神はどうして摂理を造られたのでしょうか。神の摂理と人間の幸福とはどのような関係があるのでしょうか。また、正しい信仰とはどのようなものなのでしょうか。さらには、正しい祈りとはどのようなものなのでしょうか。

シルバーバーチは「私たちは大霊が定めた摂理(法則)をお教えしようとしているのです。それを守りさえすれば、地上生活に健康と幸せをもたらすことができるからです。(教え・上・88)」「摂理に順応した生活を送っていれば、望み通りの結果が生じるようになっています。結果が出ないということは、摂理に一致した生き方をしていないことを示しています。(教え・上・93)」と語っています。

摂理に一致した生き方、調和した生き方を実践すれば幸福を手にすることができ、摂理に反した生き方、一致しない生き方では、幸福を手にすることはできないということです。それは、個人であっても集団であっても同じことです。人間の幸、不幸は、神の摂理に一致しているか、一致していないかということによって決定されるということになります。まさに、神の摂理と人間の幸福は、表裏一体の関係にあるのです。

どんなに教義を忠実に守っても、その教義が神の摂理に一致していなければ無意味な信仰になってしまいます。また、どんなに神に一心に祈っても神の摂理から掛け離れていれば、その祈りは無意味な祈りになってしまいます。正しい信仰とは、神の摂理に自らを沿わせようとすることであり、自分自身の忠実な努力、自力信仰に他なりません。そして、正しい祈りとは、神の摂理を理解したうえでの、誠心誠意の魂の叫びであって、神に少しでも近づこうとする霊的修練でなければなりません。

霊的な親である神は、私たちの霊的成長を願って摂理を造られました。霊の成長度によって神の摂理に対する認識は異なりますが、私たちは今現在の自分自身の判断にもとづいて、神の摂理に一致した行為を実践していかなければなりません。それによって、神の子供としての自立の道が開かれることになり、真の幸福を感じ取ることができるのです。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「9月の読書会を終えて」・・シルバーバーチの神観(そのⅢ)・・摂理の神・・

私たちは、神が造られた摂理の中で生きています。摂理と言っても、目に見える摂理(物的次元のもの)や目には見えない摂理(精神的次元のもの、霊的次元のもの)など、次元の異なる摂理が存在しています。それらの次元の異なるさまざまな摂理が複雑にからみ合い、幾重にも重なって存在しています。

私たちは、物的にも、精神的にも、さらには霊的にも神の摂理が作用していることを意識しなければなりません。物質だけの視点で物事を見てしまえば不条理に思えることでも、霊的に見れば前世からの原因が関わっていたり、自分自身では意識していなくても霊的に摂理に反することをしてしまっていることもあります。どのような行為をするかが最も大切ですが、心に思ったことも摂理の影響を受けているのです。

原因に対する結果の法則は、機械的正確さをもって作用していますから、目には見えないところでも、神の摂理は、作用しているのです。しかも、国家や人種や地位に関係なく、どのような人間に対しても、神の摂理は、平等に働いています。その摂理から逃れることのできる人間はいません。

しかし、その冷酷とも思える摂理の奥には、計り知れない神の愛の深さがあります。神は、私たち一人ひとりの人間をそれぞれ個別に創造され、神の分霊をお授けになりました。私たちは、神の子として霊的に成長するために生まれました。自分自身が霊的存在であるということを自覚するには、少なからず涙を流す体験が必要です。霊的に覚醒してはじめて、神の子として生きることになります。私たちが、霊的な親である神と同じ愛を周りの人々に与えようとする時、神の子としての第一歩が始まります。神から授かった霊力・神性をこの地上で発揮しようとする時、神に一歩近づくことになります。

シルバーバーチは「私が認めているのは大霊の法則だけです。人間の法律は認めていません。人間がつくった法律はいつかは改めなければなりませんが、大霊の法則には決してその必要はありません。(シルバーバーチの教え・下・117)」と語っています。

神は、完全な存在ですから、その摂理(法則)も完璧です。永遠に変化することなく存続し続けます。神の摂理がどのように働くかを学び理解してはじめて、真実の神の姿を感じ取ることができるのです。そして、神の摂理に調和した生き方、摂理に一致した生き方を実践することによって、神の愛を実感することができるようになるのです。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「真実の祈り」・・そのⅡ・・真実の祈りの実践・・

物質の中で生活し、物質にどっぷり浸かっている私たちですが、果たして真実の祈りを実践することができるのでしょうか。霊界人のように神をすぐ近くに感じ取り真摯な気持ちで祈りを捧げることができるのでしょうか。

そのためには、祈りに先立って、意識レベルを引き上げる努力が必要です。日常のさまざまなストレスや心配事から心を解放し、雑念を捨て去らなければなりません。シルバーバーチの教えによってもたらされた霊的真理の中へ中へと入り込み、意識を霊や霊界へと推し進めて行かなければなりません。最大限に意識レベルを引き上げることによって、神の前において祈りを捧げる準備が整ったことになります。

祈りは、神を前にしての二人だけの神聖な霊的行為です。そして、祈りを捧げるその場所は、どのような場所であっても神との神聖な場所となります。祈る内容もそれに相応しいものでなければなりません。この世的な願い事にならないように、神の真実の姿を思い描き、神の摂理に一致した真実の祈りでなければなりません。

シルバーバーチは『私が勧める祈りの言葉は、たった一言しかありません。「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」――これです。大霊のため、そして大霊の子供たちのために一身を捧げたいとの祈りほど、崇高なもの、偉大な愛、これに優る宗教、これより深い哲学はありません。(シルバーバーチの教え・上・114~115)』と語っています。

祈りを捧げる前から、私たちのすべてを知り尽くしている神の前においては、言葉を発することもなく、ただただ真摯な気持ちで静寂のひと時を持つだけで良いのかもしれません。祈りの場所も、静かなところで神と二人だけの聖域をつくることが基本ですが、仕事をしている時や電車の中や雑踏の中にいる時など、どのような状態の時であっても、祈ることができるように修練していかなければなりません。祈りの言葉が脳裏を過ぎった時には、少しの時間であっても精神を集中し、心の中で祈りたいものです。

祈りの言葉は、その人の霊性を映し出す鏡のようなものです。常に神を意識し、自分自身の内奥に存在する小さな神を大いなる神に少しでも近づけたい、神と一体となり叡智を授かりたい、より大きな愛を育み表現したいというような一心から出た真実の祈りを実践していきたいと思っています。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

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