「10月の読書会を終えて」・・シルバーバーチの他界観に到るまで・・霊界の真実・・

キリスト教やイスラム教などの地上の多くの宗教に見られるように、死んだら天国か地獄かのどちらかに行くことになるのでしょうか。その宗教の敬虔な信者になれば、天国へ行けるのでしょうか。そして天国や地獄でそのままずっと生活することになるのでしょうか。ダンテの「神曲」にあるように、地獄へ行くのを免れるために、免罪符を買えば天国へ行けるようになるのでしょうか。

霊界は、ほんとうに天国と地獄の2つに分かれているのでしょうか。ダンテの言うように20界に分かれているのでしょうか。スウェーデンボルグは10界と言い、マイヤースは6つの界層に分かれていると言いました。

シルバーバーチは、――この世を去ったにあとたどる7つの界層についての質問に対して、
「まず最初にお断りしますが、私はその“七つの界”とやらを知りません。第一から第七まで番号のついた界というものを私は知りません。私が知っているのは、たった一つの界があって、それが無限の階梯をなしているということです。(最後の啓示・51~52)」そして、「霊の世界は進化の階梯を上昇しながら、上下の界が互いに融合しあっているのでして、平面上の地理によって区分けされているのではありません。霊性が開発され、魂が向上するにつれて、より高い界層へと適応するようになり、自動的にその界に所属するようになります。(最後の啓示・40)」と語っています。

日本人の一般的な他界観は、死後、極楽浄土へ行くか、地獄へ行くかという極楽・地獄信仰です。鎌倉時代に、比叡山の僧であった源信は往生するための指南書として「往生要集」を記しました。極楽浄土に行くための教義と実践が示されていますが、地獄の様子も詳しく述べられています。八大地獄では、殺生の罪や不倫の罪や飲酒による罪やうそつきの罪など地獄行きの罪についても述べています。

しかし、今まで地上に存在してきた他界観は霊的に見て、どれも誤った他界観ばかりなのです。霊的事実に完全に一致しているのは、シルバーバーチによって示された他界観だけです。シルバーバーチの教えによって、私たちは、正しい霊界の姿、霊界の真実を知ることができるようになったのです。霊界は一つですが無数の界層に分かれています。宗教が示しているような地獄はありません。地獄は自分自身が作り出している世界なのです。明瞭な境界もありません。死後の進化向上によって、一歩一歩さらに上の界層へと上がって行くことができるのです。それは永遠に続く進化向上の道なのです。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「霊界での愛」・・愛のヒエラルキー・・

私たちが生きているこの地球という惑星は、いろいろなことを学び霊的に成長していくための学校です。そのカリキュラムの中で最も大切なことは、利他愛とは何かということを学ぶことです。今、地上界に浸透しつつあるスピリチュアリズムが起こされたのも、霊界の人たちの地上人に対する利他愛によるものです。純粋な思いで救ってあげたい、自分の最も大切なものを犠牲にしてでも救ってあげたいという高級霊の思いから発したものです。

シルバーバーチの教えを学ぶことによって、私たちは、近い将来帰ることになる霊界での愛がどのようなものであるかを知ることができます。陰陽の法則は物質界だけの法則であって、霊界では界層が上がるにつれて男女の差は消滅していきます。魂と魂の結びつきだけが永遠の愛の源になっているのです。霊界には、利他性をともなう愛だけしか存在しません。霊界の界層を上れば上るほど、そこは利他愛に満ちた世界なのです。

シルバーバーチは「偉大さの尺度は奉仕的精神の度合いにあります。いただくものが多いから偉大なのではなく、与えるものが多いから偉大なのです。(最高の福音・207)」と語っています。

霊界では、与える愛が多いほど、より多くの犠牲を払って愛を与えることができる霊であればあるほど、より高い界層に住むことになります。そして、高い界層に住んでいる霊的上位の霊が、霊的下位の霊に愛を注ぐことになります。霊的上位の霊が愛を与え、霊的下位の霊がその愛を受け取る。神から超高級霊へ、超高級霊から高級霊へ、高級霊から守護霊へ、そして守護霊から末端の私たち地上人へと、愛は注がれていきます。愛の深さによる完全な愛のヒエラルキーが存在しているのです。

地上界では、権力や地位や財力のある者が上位に立つという物質中心のヒエラルキーが形成されていますが、霊界では、利他愛をより多く顕現することができる霊が上位に立つことになります。霊界での支配とは利他愛の深さによる支配のことなのです。

私たちは、霊界での愛を学びそれを実践していかなければなりません。地上界のすべての人々に、分け隔てなく愛を与え続けなければなりません。利他的な愛を実践することによって、神の愛をより多く受け取ることになり、私たちは少しずつ霊的成長を果たすことになるのです。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「霊界へと続く愛」・・地上の愛のゆくえ・・

地上で愛し合った人間同士の愛は、死後霊界においても、そのまま続いていくのでしょうか。死と共に消滅してしまうのでしょうか。

霊界では、その霊の霊格によって住み分けがなされています。「界層の違いは、そこに住む人の魂の程度の違いだけで、霊性が高ければ高いほど、善性が強ければ強いほど、親切心が多ければ多いほど、慈愛が深ければ深いほど、利己心が少なければ少ないほど、それだけ高いレベルの界層に住むことになります。(最高の福音・82)」霊的波動は各界層によって異なっていますから、その霊のいる界層だけでの生活になってしまいます。そのため、異なる界層での霊たちは、お互いを認識することはできません。原則として、異なる界層間での交流はありません。

死後、ほとんどの霊は、愛する人たちと別れを告げ、別々の界層に赴くことになります。それは、地上の愛は、ほとんどの場合、利己的な愛、排他的な愛、物欲的な愛であるためです。そのような愛は、霊界では消滅してしまうことになります。

シルバーバーチは、男女間の愛について「地上で愛し合った男女の間に真実の愛があり、その愛が二人を霊的に一つにし、霊的進化のレベルが同じである場合には、死が二人を引き離すことはありません。・・・しかし、二人の結婚が魂の結びつきではなく肉体の結びつきにすぎず、しかも両者の魂の進化のレベルが異なる場合には、死は両者を引き離すことになります。(シルバーバーチの教え・上・190)」と語っています。

利他的な愛による結びつきがあり、しかも霊格が同じであれば同じ界層で生活できることになりますが、それは、ほんのわずかな一握りの霊に限られてしまいます。そして、このことは、家族間の愛や友愛などすべての愛にも当てはまります。

霊界へと続く愛とはどのような愛でしょうか。魂と魂のつながり、利他性と利他性のつながりのある愛だけが霊界においても存続することになります。利他的な愛とは、先に与える、与え続ける、誰にでも与えるということを原則とする愛です。肉体を持っている私たちには、とても難しい課題、精神修養の課題ですが、この愛を学ぶために私たちは生きています。地上人生をとおして利他愛とは何かということを学び実践することによって、霊界へと続く真実の愛を確立することができるのです。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「7月の読書会を終えて」・・「幽界から霊界へ」・・霊的家族との再会・・

幽界で霊的自我に目覚め、霊的純化のプロセスを経た霊は、本来の住処(すみか)である霊界に赴くことになります。霊界は一つですが、無数の界層に分かれています。最下層の幽界から光輝く高級霊界まで無限につながっています。その界層のどこに赴くことになるのかは、その霊の霊格、霊的成長度によって決定されることになります。

霊界は、物質的要素がすべて拭い取られた純粋な霊的世界です。そこでの環境は、幽界とは比べものにならないほど光り輝く美しい世界です。その美しさは、地上のどのような言葉を用いても表現することはできません。物的な視野でしか物事を見ることができない私たちには、想像することさえできない極美の世界なのです。

霊界の人々は、神の愛を感じ取り、神の愛のなかで生きていることを自覚しています。すべての霊が神の摂理を忠実に実践していますから、地上界のように利己的な行為、物質欲にまみれた霊など一人もいません。すべての霊が利他性をともなう愛に満ち、利他的な行為だけが行われる世界です。肉体を持っている私たちには想像もつかないことですが、霊体だけになると本来の霊的成長の意味をはっきりと自覚することができるようになります。霊的成長、それだけが生きることの目標になるのです。

霊界には「貧乏人もいません。金持ちもいません。いるのは霊的に貧しい人と、霊的に豊かな人だけです。強者も弱者もいません。いるのは魂が強靭な人と、魂が虚弱な人だけです。(霊性進化の道しるべ・117~118)」と、シルバーバーチは語っています。

霊界では、地上人生を見守り、寄り添い、霊的エネルギーを注ぎ、インスピレーションを与えてくれた守護霊と共に霊的家族に会えることになります。霊的成長度のまったく同じ霊たち、霊的親和性で結ばれている霊たちに再会できることになります。地上ではさまざまな霊的成長度の霊のなかで生きていかなければなりませんでしたから、何を行うにも困難を伴いました。言葉を用いなくても自分の意思が伝わり、共に生きているということを心の底から実感できる、そのような霊的家族である霊たちとの再会は、感謝と感激と感動の再会となることでしょう。

遠くない将来、霊的家族に再会できることに思いを馳せる時、この地上での困難がとても小さなものに思われてきます。共に霊的成長を成し遂げようとする一心同体の仲間たちと今この瞬間も共にあることに感謝すると同時に心の底から勇気が湧き出てくる思いです。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「6月の読書会を終えて」・・「地上界から幽界へ」・・霊的浄化への道・・

死の眠りから目覚め、自分は死んだのだということを自覚すると、霊界の最下層、地上に最も近い霊界である幽界へ赴くことになります。幽界は、地上とそっくりな世界です。心で思ったことは、何でも現実のものになります。欲しいものが何でも手に入ります。行きたい所へ瞬時に行くこともできます。そして、言葉は必要ではなくなって考えていることや感情までも相手に伝わります。言葉による誤解や不理解は生じません。心と心がテレパシーで通じ合う所なのです。

実は、私たち地上人は、その幽界へ睡眠中に何度も訪れています。生前はそのことをなかなか思い出すことができないのですが、肉体が無くなって幽体だけになったとき、その記憶がよみがえってきます。潜在意識に刻まれていたいろいろな記憶が思い出されるのです。幽界では、愛情を感じていた人、尊敬や憧れを抱いていた人、そして生前地上人生をずっと見守り導いてくれた守護霊にも会うことができます。自分の人生を振り返って地上人生が霊的成長とは程遠いものであったことを知り、後悔や反省の念を抱くことになるかもしれません。

思念の世界である幽界では、自分自身が自分の生活環境を創り出すことになります。その環境は、何を望み、何を必要としてきたか、地上人生をどのように生きてきたかということを映しだす鏡のようなものです。その環境が、醜いものか、美しいものであるのか、また、物質的なものだけを求めているものなのか、精神的なものを求めようとしているものなのかは、すべて地上人生をどのように生きてきたかということに対する回答なのです。

幽界での生活を決定づけるのは、個人個人の霊的な成長レベルです。そして、幽界にどれだけ永く留まることになるのかも霊性の発達度により左右されます。もっと霊的に成長したいと思い始めた時から、霊的浄化の道が開かれることになります。幽界は地上界から霊界への通過点ですが、そこで地上的意識を拭い去ります。物的意識が霊的意識となり、地上臭を拭い去って純粋な霊的存在となっていくためには、霊的純化のプロセスが必要なのです。そのために、幽界が存在しているのです。

霊的真理を理解するチャンスを逃してしまった多くの霊たちも幽界での生活を通して、徐々に霊的意識を取り戻すことになります。幽界の存在は霊的な親である神からの愛のプレゼントに他なりません。何の努力もなしに自分が望んだことがすべて実現する世界に嫌気が差したとき、物質的なことより霊的なことの重要性に気づいたとき、幽界から次のステップへの道が示されることになります。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
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