「3月の読書会を終えて」・・「人生とは何か」・・人生の羅針盤・・


人生とは何か、ということをどのように捉えるかは、とても大切なことです。捉え方によって生きる姿勢が決定されることになるからです。五感で認識できるものしか信じることができないという地上人は、地位や名誉や物質欲を満たすことに価値があり、幸せであるとする唯物的な考えに心を奪われています。自分自身の本質が霊であり霊性を成長させるために、この地上世界で様々な体験を積み重ねているということなど信じようとはしません。ましてや死後の世界があり、死んだらその人間の霊的成長度によって赴く霊界の界層が決定されることになるということなどには考えも及びません。

シルバーバーチは「知識はかけがえのない宝です。人生の全体を視界におさめて、いかに生きるべきかを教える羅針盤のようなものです。船には必ず方向を操るための道具や器具が備えつけられています。人生をいかに生きるべきかを判断するための道具を持ち合わせていないとしたら、その人は愚かな人というべきです。(不滅の真理・235)」と語っています。地上の人間は霊的真理にめぐり合うまでは霧の中でさ迷っているようなものです。地上のどのような宗教も正しい霊的知識を持ってはいません。人工的に作られた間違った教義に縛られている魂は、真の自由を獲得することはできません。霊的真理に出会ってはじめて魂が真の自由を獲得し、人生とは何か、何のために生きているのか、どのように生きたらよいのかを、確信することができるようになるからです。

霊的真理を学び、霊的事実を知ることによって、自分とは何か、死とは何かということを正しく学ぶことができます。それによって、過去から未来へと続く地上人生の意味、永遠に生きるという意味を理解することができるようになります。自分自身の真実の自我である霊の資質をいかに発現できるか、いかに開発できるか、いかに成長させることができるかが、地上人生の目的なのです。物質的な豊かさではなく、霊的な豊かさを手にいれることができなかったら、その人の地上人生は、無意味な人生ということになってしまいます。

「地上の人間は、直面する物的問題に心を奪われて、つい間違った人生観をもってしまいがちですが、いついかなる時も、霊的真理を忘れないようにしないといけません。これだけは永続性のある霊的な宝であり、いったん身につけると、二度と奪われることはありません。永遠の所有物となります。(最高の福音・247)」とシルバーバーチは語っています。今まで幾度となくシルバーバーチの言葉に勇気をもらい、助けられたことでしょう。シルバーナーチの霊訓は、どのように生きるべきかという指針、生きる方向を決定してくれる人生の羅針盤です。シルバーバーチの霊訓にすがりながら、この人生が有意義なものとなるように日々自分自身を高めていきたいと思います。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「2月の読書会を終えて」・・「死とは何か」・・そのⅢ・・天国と地獄・・

死んだらどうなるのか、天国に行けるのだろうか、それとも地獄に堕ちるのだろうか、死に対する想いを巡らし恐怖に震える、そんな時代は終わろうとしています。

シルバーバーチは「教義は必ず魂の足かせになるということを忘れないでください。教義を重んじることで立派になれるのではありません。教義を無視しても立派になれるのです。・・・魂を縛るもの、魂を閉じ込めるもの、魂の自由な顕現を妨げるものは排除しなくてはなりません。(p136~137)」「大霊の摂理は常に完璧です。人間は自分で種を蒔き、その結果を収穫します。摂理に反した種を蒔けば、自ら罰をつくり出すことになるのです。(p192~193)」と、語っています。

宗教に縋(すが)る、教義に忠誠を誓い敬虔な信者となる、教義を忠実に実践する、そうすれば天国へ行けるのだという妄想は、現代社会では、過去のものとなりつつあります。宗教の教義を忠実に実践してもその教義が霊的摂理に反したものであるならば、罪を作り出していることになります。宗教の名のもとに行われている物質欲に塗(まみ)れた行為、利己的な行為、残忍な行為、それらを行った者は全て、宗教的な地位や肩書きに係わらず、必ず償いの道を歩まなければなりません。

霊界は一つですが、無数の界層に分かれています。高き崇高なる界層から地獄のような幽界の最下層までもが存在しています。しかし、宗教で語られてきたようなものではなく、自分自身が作り出す思念の現れの世界なのです。イエスやアッラーに最後の審判を仰いで、天国や地獄に振り分けられるのではありません。自分で自分を裁くのです。自分の行為は自分で責任を取らなければならないのです。それが、神の定められた摂理なのです。

潜在意識には地上人生の全ての行為が事細かに刻み込まれています。どのような行為も隠すことはできません。自分の行為、自分の蒔いた種は、自分自身で刈り取らなければなりません。神の摂理に叶った行為、霊的真理に沿った行為だけが、自らの魂を成長させることになります。地上人生で培った霊性の成長度、霊的成熟度によって、死後、どの界層に赴くことになるかが、決定されることになります。そこが光に満ちた界層なのか、それとも暗黒の界層なのか、どちらにしても、それは自らの行為が導いたことによる決定なのです。地上人生において、死とは何かということについての霊的真理を知っておくこと、そして、霊的真理を実践することの重要さを改めて実感しています。
(シルバーバーチの言葉は「シルバーバーチは語る・上」から引用しています)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「2016年12月の読書会を終えて」・・「死とは何か」・・そのⅡ

死とは何かということを、正しく捉えることができれば、死に対する悲しみや恐怖は消え去ります。そして、高級霊と同じ霊的視点に立って死を見つめることができれば、死んだ人に対して新しい人生が始まったことへの祝福の気持ちを抱くことができます。

霊界からこの地上界へ誕生した私たちは、永遠に続く人生のほんの一瞬をこの惑星で生活しています。人生は死をもって終焉を迎えるではなく霊界へと続きます。霊界へ戻ることになるその日まで死へ向かって生きていることになる私たちですが、地上界に居るときから、霊界を訪れています。死への予行練習とも言うべきことが、寝ている間に行われているのです。その時、人間の幽体は肉体から一時的に分離しています。
シルバーバーチは、そのことについて「実は、すべての人間が睡眠中に霊界を訪れています。これは霊的身体を死後の環境に適応しやすくするための大霊の配慮の一つなのです。(シルバーバーチの教え・上・204)」と、語っています。睡眠中に何度も霊界を訪れていても、また、この地上界にまた戻ってくることができるのは、シルバーコードによって繋がれているためです。

安楽死、延命治療、脳死や臓器移植などの問題についても死に対する霊的事実を知ることによって、正しい判断ができます。人間が生命を作り出すことは出来ません。生命は、神から与えられたものであり、生命を奪い去ることは、神の摂理に反することであり、許されません。死んでいるか否かは、シルバーコードが完全に切れているか否かということ、ただそれだけの単純なことなのですが、物的視野でしか物事を見ることができない地上人には、そのことを判断することは、とても困難なことです。
見た目には死んでいるように感じられてもシルバーコードが少しでも繋がっていれば、生命活動は続いていることになります。そのような状態の人間を人為的に死に追いやる行為は、殺人と同じことであり神の摂理に反する行為なのです。

死とは何かということを、霊的事実に照らし合わせて理解しておくことは、自分自身の死や自分の周りの人々の死を捉えるうえにおいても、さらに愛する人を失った人に対してどのようなことを伝えるべきかということにおいても、とても重要なことです。特に、死を見取る専門職に携わっている人達は、死に逝く人に対して、そして、残された家族に対しても、霊的事実に沿った慰めの言葉を掛けることができなければなりません。死とは何かということを永遠の尺度から見つめることの大切さを改めて感じています。(E・H)

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

新しい年、2017年がスタートしました

あらゆる分野において霊界からの働きかけを感じ取ることができた昨年でした。今年も地上界には混乱や破壊が起こっているように私たちの目には映ることが多いと思いますが、混乱や破壊も進歩のための一過程として霊的視野で捉えていかなければなりません。
自分自身に今できる最大限のことを実践して、今年を実り多い一年にしたいと思います。

以下は、2016年12月、読書会での私のスピーチです。

『・・「過去から、未来へと続く地上人生」・・

私たちは、この地球という惑星を霊性を高める場所として選択し、誕生しました。前世において何が足りなかったのか、どのような地上生活を行なうべきなのか、ということについて、霊的自我には、ちゃんと分かっているのでしょうが、過去の様々な経験を通して推測しても、おぼろげには感じ取ることはできても、確信することはできません。
宇宙で2番目に霊性の低いこの地球で生活しているということは、霊的に見たとき、最下層に近い存在と言えます。この惑星で何らかの経験を積み、もがき、苦しみ、その経験によって自分自身を霊的に成長させていかなければならないことを意味しています。

この地球では、霊性の異なる人間が同一の場所で生活していますから、当然の結果として摩擦や諍いや困難が待ち受けています。今まで幾度となく、困難や苦労に押しつぶされそうになりました。しかし、絶望するようなことはありませんでした。それは、守護霊の愛によって包まれていたためだと思います。そのことに心より感謝しています。
そして、幸運にも守護霊の温かい導きによって霊的真理に出会えたことを、何よりも嬉しく思っています。霊的真理に出会ったことによって自分自身の本質は何かということを知り、どのように生きるべきかということを学ぶことできました。そして、微力ながらも霊的真理の普及活動に貢献していこうとすることが、生活の一部になっていて、何よりの励みになっています。 

毎月、読書会に参加させていただき、こうして霊的真理を学ばせていただくことによって、霊的な知識の理解が次第に深まっています。この場は、世俗から離れた聖別された特別な空間です。この部屋に居るとき、霊界の方々との距離が一段と近くなり、霊力の存在を感じます。そして、霊界との絆が、回を重ねる度により強くなっていることを実感します。霊的な親である神の存在を感じ、自分自身が霊的な存在であることを強く意識できる特別なひと時です。
主宰の方の声の響きが霊界からの声の響きに同調するように聞こえてきて、次々に新しい霊的真理が心の中へと浸透してきます。参加されている方々と霊界の方々との気持ちが一つになって、同じ目的に向かって前進しているのだという意識が強められていきます。霊界と地上界との調和、協調が一段と強化され、多くの霊界の方々と共に歩んでいることを、ますます強く感じ取ることができます。

霊的真理はシンプルですが奥深いものです。霊的真理を学べば学ぶほど、自分の気づかなかった別の一面を発見し驚かされることが、しばしばです。学んでも学んでも、またその先に学ぶべき真理があることを悟る毎日です。

霊的真理を知った者は、実生活において霊的真理を活用できるようになることが、大切な目標ですが、霊的真理の実践ほど難しいことはありません。仕事において、奉仕的な営みにおいて、家庭内においても、霊的真理が基盤となって、意識する意識しないに関係なく、それを役立てていかなければなりません。
愛する家族や身内に対しては、勿論のことですが、どのような人に対しても、優しく穏やかな気持ちで接することができなければなりません。また、慰めの言葉も単なる同情の言葉ではなく、真理に沿った言葉を掛けてあげることができるようにならなければなりません。しかし、とっさには言葉が見つからないことがよくあって、いつも反省させられます。時には自分の無力さにうんざりさせられることもあります。
しかし、10数年前、霊的真理を知らなかった時に比べれば、今は何倍も恵まれているのですから、自分自身を高めようとする強い意志を持ってこれからも努力していきたいと思っています。

地上世界は、私たちが霊的に成長するために神が創造された訓練所です。当然、様々な困難が起こってきます。挫けず、それらを乗り超えていくことによって、魂が強化され人間性が磨かれていきます。そして、一つひとつ不完全が取り除かれ、完全に向けて少しずつ霊的に成長していくことができるのです。

シルバーバーチは「世間でいう“成功者”になるかならないかは、どうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは、自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、ほんとうの自分自身に忠実であること、良心の命令に素直にしたがえることです。(最高の福音・107)」と語っています。

私たちは、目に見えるものと目には見えないものの狭間で生きています。物質的なものを追い求めるのではなく、死後にも永遠に自分の宝となるもの、霊的に価値あるものを追い求めなければなりません。物質の世界に生きてはいますが、良心の声に従って、物に流されない生き方を目標に努力していかなければなりません。目には見えないものに本質があり、真の価値があることを忘れないようにしなければなりません。

神の大いなる計画は、変更も廃止もなく進められています。霊的真理の光はますます輝きを増して光続けています。霊界の道具になった私たちは、信じる道を突き進まなければなりません。霊にかかわることは、一朝一夕には成り立ちません。永続性を必要とします。挫けそうになった時には、背後に控える高級霊団の無償の愛があること、自分自身は神の分霊を宿していること、この地上には克服できない障害や困難は無いこと、それらのことを心の支えとして、この地上界における一兵士として、神の光を見失うことなく、根気強く前進していきたいと思います。(E・H)』     

*なお、引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「11月の読書会を終えて」・・「死とは何か」・・死は第二の誕生・・

死とは何かという問いかけに、正しい回答を指し示すことができる宗教はこの地上には存在しません。霊的に無知である宗教に人々に真の慰めや救いを与えることはできません。人間の誰もが避けることができない死を私たちはどのように捉えたらよいのでしょうか。

死の問題については、信じるか信じないかという従来の宗教の立場を超えて、理性で判断する時代を迎えています。19世紀に、ウイリアム・クルックス博士やシャルル・リシェなどによって科学的に霊魂の存在が証明されました。スピリチュアリズムによって、信仰の問題ではなく客観的な事実として死を受け入れなければならない時代を迎えているのです。

「あなたは霊であるからこそ、本来は生命をもたない物的身体を動かすことができているのです。あなたという霊が引っ込めば、いわゆる“死”が生じます。それまで活力を与えていたエネルギーが消えるわけです。(最高の福音・124~125)」
「霊性は死によっていささかも失われません。火葬の炎によっても消すことはできません。その霊性を消す力をもったものは、この全大宇宙の中に何一つ存在しません。(最高の福音・219~220)」と、シルバーバーチは語っています。

死とは何かということに対する霊的事実を理解することによって、死に対する悲しみや恐れは消え去ります。死後は、地上生活の延長である霊界での生活が待っているのです。肉体を脱ぎ捨てた私たちは、より霊的な存在になるだけなのです。愛する人の死に出会うことがあっても、高級霊と同じ霊的な視点に立って死を見つめることによって、死んだ人に対して新しい人生が始まったことへの祝福の気持ちを抱くことができるのです。私たちの真実の自我は霊ですから、五感を超えて感応することができます。愛する人がすぐ近くにいてくれて、いつも見守っていてくれていることを実感することができるのです。

シルバーバーチは「死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。(シルバーバーチの霊訓・三・44~45)」と、語っています。
死とは何かということを正しく理解することによって、どのように生きたら良いのかということに対する回答を導きだすことができるのです。(E・H)

* なお、引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
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